1999年7月に出版された「私が見た未来」という漫画が「完全版」として復刊され、話題になっています。
漫画家たつき諒先生による作品で、大災害など夢で見たことを描くと、それがことごとく現実になるという内容です。
さらにこの完全版には、2025年7月に日本を「大災難」が襲うと書かれており、気になっている人も多いのではないでしょうか。
そこで今回は、たつき諒先生が予言した2025年7月に何が起こるのかを調査していきながら、過去の予言・予知夢についても紹介していきます!
たつき諒が予言!2025年7月に何が起きる?
1999年7月に出版された「私が見た未来」という漫画が「完全版」として復刊されました。
帯にある「本当の大災難は2025年7月にやってくる」という強烈なメッセージは、人々を震撼させています。
これは、作者のたつき諒先生が見た予知夢での内容を指しています。
2025年7月5日、日本とフィリピンの中間あたりの海底が突然破裂して巨大な津波が発生し、香港から台湾、そしてフィリピンまでが地続きになるような光景を見たそうです。
この予知夢によると、その津波は、東日本大震災の時よりも数倍大きい壮絶なもののようです。
先生は、これを乗り切れば幸せな未来が待っていると伝えたかったようです
たつき諒がこれまでに予言したこと
2025年7月5日の大災難についての予知夢を見たたつき諒先生ですが、これまでの数々の予知夢を見ています。
そこで、「現実になった!」と言われている4つの予言を、紹介します。
予言① 東日本大震災
たつき諒先生は、2011年3月11日に起きた「東日本大震災も予言していた」と注目されています。
たつき諒先生の漫画「私が見た未来」の表紙に、「大災害は2011年3月」と書かれていたのです。
1999年に刊行された本だったので、2011年の出来事である東日本大震災のことを予言していた?と複数のテレビで取り上げられるほど話題に!
(画像引用:テレビ東京)
しかし、表紙に書かれたその文字だけで、たつき諒先生がどのような予知夢を見ていたのかは、わかっていません。
予言② 阪神淡路大震災
たつき諒先生は、阪神淡路大震災も予言していた!と話題になっています。
1999年に刊行された漫画「私が見た未来」の表紙に、
1995年1月2日に見た夢
荒れてヒビの入った大地
「連れてって」と言ったら「5年たったら迎えに来る」と言った
と書かれています。
阪神淡路大震災は、1995年1月17日に起きていますので、たつき諒先生はその15日前に予知夢を見ていたようです。
1995年1月に何かが起きることを予言していた!と話題になっていますね。
しかし、漫画「私が見た未来」は、1999年に刊行されたため、「予知夢ではないのでは?」といった声も聞こえてきます。
さらに「荒れてヒビの入った大地」「5年たったら迎えに来る」は、何を指しているのかはわかっていません。
予言③ ダイアナ妃の悲劇的な事故
たつき諒先生は、1997年8月31日に起きた悲劇のダイアナ元妃の事故死も、予言していたと話題になっています。
1999年に刊行された漫画「私が見た未来」の表紙に、
1992年8月31日に見た夢
ダイアナ?なんだ?
という文字と一緒に、赤ちゃんを抱っこしたイラストが書かれています。
ダイアナ元妃は交通事故で亡くなってしまったため、「赤ちゃんのイラストとは無関係だ」という見方もあります。
さらに、事故から2年後の1999年に刊行されていることもあり、「予知夢ではないのでは?」といった声も聞こえてきます。
しかし、「8月31日」という日付が合っているため、予言していたのかもしれません。
予言④ フレディマーキュリー訃報
フレディ・マーキュリーは、1991年11月24日にHIV感染合併症による肺炎のため亡くなりました。
たつき諒先生は、フレディ・マーキュリーの訃報に関する予知夢を、2回見たようです。
1回目は、1976年11月に見た夢で、フレディが亡くなったというテレビのニュースを、友達と見たという内容でした。
2回目は、その10年後の1986年11月28日に見た夢で、フレディ・マーキュリーが亡くなり、彼の人生が映画化されるという内容でした。
実際に亡くなったのは、11月だったことと、たつき諒さんが2回とも11月に夢を見ていたことから、月が一致します。
さらに、2018年にはフレディ・マーキュリーの生い立ちを描いた映画「ボヘミアン・ラプソディ」が上映されました。
そのため、たつき諒先生の予知夢と一致した点が多いこともあり、予言が当たったと言えそうです。
たつき諒は一体何者?
まずは、たつき諒先生のプロフィールをまとめてみます。
- 名前:竜樹 諒(たつき りょう)
- 別名義:たつき 諒
- 生年月日:1954年12月2日(69歳)※2024年5月現在
- 出身:神奈川県
- 職業:漫画家
- 活動期間:1975-1999/2021-現在
- 代表作:私が見た未来
たつき諒先生は、その名前から男性を想像しやすいですが、女性です。
また、「竜樹諒」とい名前ですが、「竜樹」という漢字が難しいことから、1990年頃からは「たつき諒」名義を使うようになっています。
1978年頃から睡眠中の夢の内容を記録し始め、1985年からは一冊のノートに「夢の記録」と題した夢日記を絵と文章で記述してきました。
これがのちの「予言漫画」 へと繋がっているようです。
たつき先生は、単行本「私が見た未来」が発売された1999年に漫画家を引退しました。
しかし、同書の表紙に「大災害は2011年3月」との一文があったことから、2011年3月11日に東日本大震災が発生すると、「今回の大震災を予言していた漫画がある」として注目を集めることになりました。
まとめ
今回は、「本当の大災難は2025年7月にやってくる」というメッセージを残した、漫画家たつき諒先生について、調査しました。
これまでに、いくつかの予知夢を見てきたたつき先生ですが、東日本大震災を予言してしていたことには、驚きましたね。
さらに、2025年7月5日には、東日本大震災よりも数倍大きい津波が日本を襲うという予知夢を見ています。
しかし、たつみ先生からは「これを乗り切れば幸せな未来が待っている」という思いも込められていましたね。
予言が当たるか当たらないかではなく、日頃から地震や津波に備えておくことが大切だ、ということを改めて認識させられました!
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