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油屋熊八は何をした人?大分の有名な銅像の意味や別府との関係を調査

人物
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大分県の別府駅を降りると、最初に目に入るなんともインパクトのある銅像。

バンザイをしたこの方、実は別府観光の生みの親と言われている油屋熊八氏です。

亀の井ホテルの前身である「亀の井旅館」創業者でもあります。

そこで今回は、油屋熊八氏の経歴を紹介しながら、彼の凄さや彼が残した数々のアイデアを紹介していきます。

ぜひ、最後までご覧ください!

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油屋熊八とは?別府駅前の銅像の正体に迫る!


(出典:亀の井ホテル公式サイト)

油屋熊八氏は、1863年に愛媛県宇和島村(現宇和島市)で米問屋の長男として生まれました。

彼は、大分県の別府で亀の井旅館を創業したほか、由布院の亀の井別荘亀の井自動車などを設立し、「別府観光の父」と呼ばれる存在になりました。

そこで、油屋熊八氏はどういう人物なのかを、詳しく見ていきます。

油屋熊八は何をした人?


(出典:Wikipedia)

油屋熊八(あぶらやくまはち)氏は、別府温泉の観光開発で実績を残した人物です。

38歳の頃に別府に根付き、油屋熊八氏個人の私財を投じて別府温泉を日本中に宣伝しました。

そのため熊八氏没後は、亀の井自動車や旅館は借金の返済のため売り払われたそうです。

そこで、油屋熊八氏のプロフィールや功績を紹介していきます。(※引用:Wikipedia)

  • 1863829日(0歳) 伊予国宇和島城下(現愛媛県宇和島市)の米問屋に生まれる
  • 1893(30歳)大阪に渡って米相場で富を築き、別名「油屋将軍」として羽振りが良かった
  • 日清戦争後   相場に失敗して全財産を失う
  • 1898年(35歳)アメリカに渡り、現地の教会でキリスト教の洗礼を受ける
  • 1901年(38歳)帰国後再度相場師となるがうまくいかず、妻を頼って別府を訪れる
  • 1911(48歳)「旅人を懇(ねんご)ろにせよ」(旅人をもてなすことを忘れてはいけない)を合言葉に、サービス精神の実践として亀の井旅館を創業
  • 1921年(58歳)由布院金鱗湖畔に賓客をもてなすための草庵(現在の亀の井別荘)を建てる
  • 1924年(61歳)亀の井旅館を洋式ホテルに改装して亀の井ホテルを開業
  • 1925年(62歳)別府~湯布院~くじゅう高原~阿蘇~熊本~雲仙~長崎間の観光自動車道を提唱し、ルート上の長者原にホテルを開設
  • 1926年(63歳)別府ゴルフリンクスというゴルフ場を開き、温泉保養地とスポーツを組み合わせた新しいレジャーを提案
  • 1927年(64歳)大阪毎日新聞主催で「日本新八景」が選ばれた際に、葉書を別府市民に配って組織的に投票を行い、別府を首位に導く
  • 1928年(65歳)亀の井自動車(現在の亀の井バス)を設立して、日本初の女性バスガイドによる案内つきの定期観光バスの運行を開始
  • 1931年(68歳)手のひらの大きさを競う「全国大掌大会」を亀の井ホテルで開催
  • 1935324日(71歳)逝去、墓は故郷の宇和島市の光国寺にある

油屋氏は、クリスチャンで酒を飲まない人だったため、「旅館は体を休める所であり、飲酒をしたいなら外で飲むか他の旅館に行ってくれ」と言い、当時では珍しく、旅館での酒類の提供を行いませんでした。

森永製菓の創業者である森永太一郎氏が滞在中に酒を注文しようとしたけれど、彼に断られたエピソードもあります。

断られてもなおも食い下がる森永氏に対して

「あなたは子供のための菓子を作っている会社の社長であるのに、酒が飲めないのかと悔しがるのはおかしい」

と言い放ったくらい、徹底していたようです。

その後、旅館での禁酒はあまりにも気の毒という意見が増えたため、清酒は2合、ビールは1本を限度に提供を開始したそうです。

油屋熊八の名言とは?誰もが知っているあの言葉!

「生きてるだけで丸儲け」
この言葉は、油屋熊八氏の名言だと言われています。
「小さな失敗にくよくよするのはやめて毎日いいことばかり考えて暮そう」という意味です。
波乱に富んだ人生の末、日本の「おもてなし」の心に目覚め、別府温泉の観光開発や田園的な温泉保養地・湯布院温泉の礎を築いた熊八氏が言った言葉だとされています。

波乱万丈な人生を歩んだ熊八氏だからこその言葉だったのかもしれませんね。

油屋熊八はアイデアを生み出す天才!

諸説あるようですが、「温泉マーク」や別府の「地獄めぐり」を考えたのも油屋熊八氏のアイデアと言われています。

また、「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」というキャッチフレーズを考案し、

このフレーズを刻んだ標柱を1925年に富士山山頂付近に建てたのをはじめ、全国各地に建てて回ったと言われています。

さらには、熊鉢氏のまわりには、別府観光のために尽力を惜しまない、面白い人たちが集まり、

みんな子ども好きで、「オトギ倶楽部」を結成し、童話や歌や演奏を聴かせていたようです。

クリスマスには、水上飛行機からサンタクロースが降りてくる演出で子どもたちを驚かせたこともあるそうです。

「オトギ倶楽部」で熊鉢氏は、「ピカピカのおじさん」と呼ばれていました。

油屋熊八の銅像の意味は?

油谷熊八氏の偉業を称えて、大分みらい信用金庫(本社・別府市)の依頼により、2007年11月1日に別府駅前に油屋熊八氏のブロンズ像が建てられました。

そのブロンズ像は片足で両手を挙げ、熊八氏がまとうマントには小鬼が取りついています。

これは、制作した彫刻家・辻畑隆子さんによると、天国から舞い降りた熊八氏が「やあ!」と呼びかけているイメージとのことです。

別府駅に降り立つとまず目に入り、人々をホットに包み込むようなそんな印象があります

熊八氏の銅像の隣には、手湯があるので、訪れた人はぜひ試してみてください!

まとめ

今回は、「別府観光の父」と呼ばれる油屋熊八氏について紹介してきました。

  • 油屋熊八氏は、個人の私財を投じて別府温泉を日本中に宣伝した
  • 「生きてるだけで丸儲け」は、油屋熊八氏の名言で
  • 別府駅前に油屋熊八氏のブロンズ像が建てられ、観光名所になっている

ということで説明してきました。

コロナも終息に向かい、楽しく旅行ができるようになってきています。

国内旅行で探している人は、ぜひ別府に足を運んで、まずは駅前の熊八氏の銅像で思い出に残る写真を撮ってみてください!

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